安田翔平|Shohei Yasuda
Happy Head Chef at Restaurant Kabi
1991年生まれ。大阪の料理学校を卒業後、1年間フランスへ。帰国後、大阪の二つ星レストラン「ラ・シーム」で働く。その後、世界最速で1つ星を獲得した東京・白金台のフレンチレストラン「Tirpse(ティルプス)」でスーシェフを務める。2015年12月から約1年間デンマークへ。
デンマーク領で「バルト海の宝石」と言われるボーンホルム島と首都コペンハーゲンにもレストランを構える1つ星レストラン「Kadeau(カドー)」でシェフに。2017年11月、東京・目黒に「Restaurant Kabi」をオープン。
▶︎インタビュー&文:岡安夏来
▶︎編集&現場写真:別府大河
▶︎写真提供:安田翔平さん、Kadeau
ー01ー
デンマーク人の「余裕」
ーー世界で脚光を浴びている新北欧レストラン「Kadeau(カドー)」で働く生活はどうでしたか?
日本と違ったのは、デンマーク人はとにかく心に余裕があるんですね。たとえば、Kadeauではお客さんからチップをもらえて、月にだいたい10万円分ずつ平等にスタッフ全員で分けるんです。
それから、働き方に余裕があって。まず、研修生もシェフも全員週3日休む。仕事の日は、朝10時半頃に来てみんなで朝食を食べて、12時から仕込みを開始。片手にビールを持ってね(笑)。オープン前の17時のまかないの夕食の時間も、ナチュラルワインやデンマークの有名コーヒー店「Coffee Collective(コーヒーコレクティブ)」のコーヒーも飲み放題!で、深夜1時頃には仕事を終えて帰宅という生活。こんな楽しくていいのかな?って(笑)。
接客でももちろんネクタイはしないし、お客さんにも友達のように出迎える。最初はそれがあまりにも衝撃的で、あるシェフに「英語の Please はデンマーク語で何て言うの?」って聞いてみたんですよ。そしたら「近い言葉はあるけど、デンマークではそんな言葉は使わないよ」って。デンマークらしいなって思うんですが、きっとこの国の人には日本の敬語のような感覚はないんですよね。デンマーク人みたいに人は心に余裕があると、あんなにハッピーになれるんだなって。
ー02ー
意志があるところに道は開ける
ーー安田さんの経歴について教えてください。そもそも料理人の道に進むきっかけは何でしたか?
小さい頃から料理人になりたかったわけではないんですよ。岡山の大自然の田舎で育って、川魚を獲ったり、アリを食べたり、捕まえたスッポンを料亭に5000円で売って小遣い稼ぎしたり。バスプロを目指そうとした時期も(笑)。
ただ父親がフレンチレストランを経営していた影響で、料理には昔から興味はあって、大阪の調理学校へ進学することに。卒業後、フランス、大阪、東京のフレンチレストランで働き、2015年にワーキングホリデーのビザだけとってデンマークへ行きました。
ーー都内の1つ星フレンチレストラン「Tirpse(ティルプス)」から、なぜデンマークへ?
Tirpseで一緒だったシェフが、僕がのちに働くことになるKadeauで働いた経験があって。そのシェフから話を聞いているうちにどんどんデンマークに惹かれていったんですよね。だけど、紹介はしてもらわず、仕事はもちろん、住む場所さえ決めないまま、最低限のものだけを持ってデンマークに飛んでみました。
ただ、それが想像以上に過酷で。家が見つかるまで滞在していた10人部屋の安宿ではロッカーから現金が取られたり、クレジットカードを盗まれたり、住宅詐欺にあって突然一文無しになったり(笑)。
ーー波瀾万丈すぎる(笑)。そこからどうやって働きはじめたんですか?
世界一のレストランとも言われている「noma(ノーマ)」をはじめ、デンマーク中のレストランを食べ歩くなか、Kadeauだけは別格だったんです。英語が早くて説明はわからなかったんですが、料理を食べた瞬間「この味は何だ!?」とあまりに衝撃的で!そのまま厨房へ行って「ここで働かせてください」とオーナーシェフに直談してみると、「研修生も順番待ちしてるから今は無理だよ」って。
断られたけど、それでも働きたかったので、次の日も厨房に行きました。そしたら、「仕方ないな」と仕込みを手伝わせてもらって。そうやって最初の頃は毎晩シェフから「明日も来るの?」と聞かれて「もちろん!」と答える日々。
でもそれを1ヶ月くらい続けていると、だんだん英語もわかるようになってきて、仕込み以外の仕事を自分も任せてもらうように。そして、晴れて正式にシェフとして働かせてもらえることになりました。断られても粘って通い詰めるとなんとかなるんですよね。
ー03ー
「まずはやってみる」から始まる
ーー並大抵ではない行動力に衝撃でした。正規シェフとしてKadeauで働いてみてどうでしたか?
Kadeauはもともと、バルト海に浮かぶ「ボーンホルム島」というデンマークの小さな島からはじまりました。今はコペンハーゲンが旗艦店のため、夏の1ヶ月間だけ島の食材をみんなで収穫しに行くんですよ。面白いのは、みんなが島のどこに何の食材があるか熟知していること。
たとえば、デンマークでは柑橘類のかわりにアリを食材として使うんですが、「アリ塚の場所はここらへんに行けば獲れる」ということをわかった上で、「じゃあそこを獲ったら次のために新たなアリ塚を探しておこう」と抜け目ない。他にも「これ本当に食べられるの?」と思うような木の実まで、あらゆる食材を収穫します。
でも思い返してみると、これは僕が少年の頃やっていたことと同じだったんですよ。それから忘れかけていた探究心に火がつき、日本に帰国した次の日には奥さんを東京で3時間くらい連れ回してました。高尾山なんか食べ物の宝庫だし、実は渋谷の道端にも食べられるものはたくさんあって。ただもちろんすべてうまいわけではなく、間違えて犬のおしっこがかかってる道端の草を食べたこともあるし、実は毒を持っている草を知らずに食べたこともありますが…(笑)。
おいしいかマズイかは食べてみないとわからない。ボーンホルム島ほどの大自然じゃなくても、日本にだって自然があり、豊かな食材がある。Kadeauで植えつけられた探究心は、ここ東京でもすぐに発揮できるし、そこにはいつも新たな発見があるんです。
ー04ー
デンマークで出会った日本の発酵技術
ーー安田さん、さっきもこのカフェの前(東京・表参道)で「これ食べれるんですよ」って教えてくれましたよね(笑)。
ただ採って終わりじゃなくて。その採ったものはどうするかというと、発酵や塩水に漬けて保存することで、冬でも夏に採ったボーンホルム島の食材を活かした料理を提供するんです。デンマークは冬が長くて寒く、作物も取れないから、食べ物の保存技術が発達しているんですよね。
たとえばデンマーク料理ではピクルスがよく出てきますが、その調理方法を学んでいる時に、「ピクルスは日本でいうと漬物だ」「ここでやっている発酵は日本の食文化でもあるんだ」って気づいたんですよ。それまでは発酵なんて興味さえなかったんですが、それからは独学でいろいろと試してみるようになりました。
僕が初めて作ったのは、グリンピース味噌。それからホタテ味噌とムール貝味噌、ホタルイカ味噌。味噌ってタンパク質と麹と塩だけでできるので、タンパク質のある食材を合わせれば簡単に作れるんですよね。
ーーデンマークという環境や独学の安田さんだからこその発想ですね。
ある時、日本からぬかを送ってもらって、デンマークでぬか漬けを作ったことがあって。完成品をシェフに持って行くと、みんな「何だこれは?」って(笑)。でも食べてみるとおいしいと喜んでくれて、Kadeauの新作料理にすぐに取り入れられました。
もともとデンマークには発酵の文化があったんですよね。だけど、それに火をつけたのは実は日本だったんです。nomaのオーナーシェフが日本から発酵料理を取り入れて、バッタ味噌とかを作り始めたのがきっかけで空前のブームに。
そんな発酵技術にまさか日本人の僕が、デンマークで夢中になるとは思いもしませんでしたね。デンマークに行ってなかったら今のように、「ちゃんとおいしくなれよ」「仕込み間に合わないから早く発酵してくれ」と微生物に愛情を注ぐこともなかったんだなって(笑)。
きっとデンマークと日本は食文化を通じて深くつながっていて、デンマークはそこからクリエイティブに新しいものを生み出し続けているんだと思います。僕は今ちょうどこの2つの国が描く重なり部分にいて、今度は日本人としてデンマーク人や他の国の人にはできないことをやりたいんですよね。
ー05ー
日本を変える。プレッシャーを味方に
ーー安田さんは世界の食の最先端でいろんなことを吸収してきたんですね。安田さんのその「やりたいこと」は何なんですか?
僕は「食」を通して日本を変えたい。そのために帰国しました。
フランスから食のブームが始まり、スペイン、そして現在は、新北欧料理、南米料理が流行中。でも、僕は日本が料理をする環境として一番ポテンシャルがある国だと思っているんです。いいものはあるんだけど、生かしきれていない部分があるだけ。
たとえば、日本の発酵食品の多くはサブ的な存在として定着していますよね。漬物はあくまでご飯のお供であって、メインではない。だけど、デンマークではピクルスだけで一皿作るんですよ。それなら僕もそれに挑戦したい。日本の食文化を武器にシェフとして世界に向けて発信したい。
そんな想いをこめて、この11月に仲間2人と「Kabi」という名前のレストランを目黒にオープンします!
ーーついに挑戦するんですね!安田さんには圧倒的な行動力がありますが、プレッシャーを感じることはないんですか?
プレッシャーがあるから面白いし、逆に僕はそれがないとダメで。おいしい料理をつくるのは当たり前。その中で、「こういう料理があるんだ」「こんな味があったんだ」という、お客さまにポジティブな〝違和感〟を与えたい。それが僕の使命です。
僕の料理は、切ない気持ちでつくると酸味が強くなったり、楽しい時は甘みが増したり、同じレシピでも、その日の自分の感情によって自然と味も変化するんです。それって、ミュージシャンは自分の歌声や楽器で、画家は紙に絵の具と筆で自分を表現するように、僕は料理を通して自分を表現するアーティストだと思っていて。
だから、僕にとって「食」は、自己表現の「ツール」でしかありません。フレンチを学び、デンマークで経験してきた僕にしかできない表現で、今度は自分の生まれた国のレストランのシェフとして、日々挑戦をしながら世界に新しい食を発信し、日本を変えていきます。