加藤比呂史|Hiroshi Kato
建築家
大学卒業後、藤本壮介建築設計事務所、日建設計を経て、デンマークへ。コペンハーゲンの設計事務所COBEにて設計活動を開始。個人プロジェクト「KATO×Victoria」も共同設立。
現在、COBE建築事務所に所属。COBEでは、コペンハーゲンをはじめ、ヨーロッパの建築や都市計画プロジェクトを担当している。
現在はアントワープ(ベルギー)の巨大なプラザのプロジェクトの設計競技に参加中。自身初の巨大なランドスケープのプロジェクトを手がけている。
▶︎ インタビュー&文&現場写真:別府大河
▶︎ 写真提供:Rasmus Hjortshøj / COBE / KATOxVictoria

c: Rasmus Hjortshøj

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c: COBE

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「建築家って何だろう?」

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――デンマークで建築家として活躍されている加藤さんですが、初めてデンマークに来た時の印象はどうでしたか?
一言に「建築家」といっても、デンマークではいろんな生き方や価値観があることに衝撃を受けました。僕が日本で培ってきた「建築家」という職業のイメージが、いかに固定的で限定的なものだったか。どちらが良い悪いではなく、まったく別物だということ自体に驚きましたね。
たとえば、デンマーク人の勤務時間は日本の半分くらい。それはもうビックリで! 「もう帰っちゃうの? もう一つ仕事につけちゃうじゃん!」って(笑)。それから、決定の速さ。「これ、いいね!」となったら、あまり検討することなく、そのまま突っ走っていっちゃう。そんな環境に最初は物足りなくて、一人事務所に残って仕事をしていたこともありましたね。

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もう一つ驚いたのは、デンマークでは政府などの公的機関が積極的にクリエイティブな領域に投資すること。この国にはたくさんのアート基金があって、良いアイディアを持っている団体に対して金銭的なサポートしてくれるんですよ。
――社会が違えば、そういった違いはどうしても出てきますよね。
そうですね。だけど「どんな社会で生きようと結局人間の根本は同じなんだな」とも思います。どんな建築家だって、自分が作る空間や建築が、未来の人たちにどんな影響を与えられるか必死に考えている。そして、「いいアイディアを生み出して、それをチームで育てていく」という、根本的な人間の喜びは、日本もデンマークも変わらないんですよね。
―02―
先が見える人生と見えない人生
あなたはどちらを選びますか?
――そもそも加藤さんは、なぜ建築家になったんですか?
子供の頃から家の中で本を立てて自分だけの空間を作るのが好きだったんです。自分の手で空間ができていくあの感覚がたまらなくって! 建築家の父親の影響もあると思いますが、大学では建築を専攻して、卒業後、藤本壮介建築事務所へ。
――では、なぜ海外で働こうと?
海外で働いてみたい気持ちは、仕事で海外のプロジェクトに携わったり、いろんな国の人と仕事をしているうちに自然と湧いてきましたね。
――「自然と」なんですね。そういう気持ちって言語化しにくいですよね。
直感ですからね。今まで行ったことないところに住んでみたい!という好奇心。
昔から京都のうねった道が大好きで。「あの死角から誰かが来るかもしれない」「あそこを曲がるとものすごい景色が広がっているかもしれない」って想像すると、ワクワクしませんか? 知らない世界が迫ってくる、あの高揚感。
もしかしたら、地球も地面と大気の間の曲がりくねった空間だと考えると、「あの先にどんな世界があるんだろう?」って思うのは、原理的には同じことなのもしれません。伝わるかな……やっぱり説明するの、難しいですね(笑)。
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思い込みの境界線の向こう側へ

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――そんな思いで海外に来て、「建築」という観点から、デンマークやヨーロッパは日本とどんな違いを発見しましたか?
日本での建築家の仕事は、建物を作ることに焦点が当てられるけれど、ヨーロッパでは都市計画に近い概念で捉えることです。特に、社会民主主義が根強いデンマークでは、建築を常に街全体の一部として設計する傾向が強いんですよ。
――コペンハーゲンは都市としての世界観が伝わってきますよね。素人ながらにでもわかる気がします。最初はその違いに苦労したのでは?
そうですね。僕はそれまで、限られた敷地の中で「一つのアート作品を作る」という建築の作り方に慣れていたので。でも、ここでは「街の改築する」ために「建物を新築する」というイメージが強い。思考する幅や奥行き、枠組みがまったく違うんですよね。

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僕自身、日本の建築のあり方、見えない境界線や枠に閉じ込められる感覚にもともと疑問を持っていたんです。以前、ある有名な建築家が、「建築家に越えられないものは何ですか?」という質問に、「敷地境界線」と答えていたのをよく覚えていて。それ、本当かな?もっと根本から建築について考えることもできるじゃないかな?って。
でも、デンマークに来たらそんなモヤモヤはすっかり晴れましたね。たとえば、2つの敷地を1つにするなんてデンマークではよくある話で。敷地境界線なんていとも簡単に越えていけるんですよ。
仕事でも、あるコンペに出る時、「うちのメンバーでは人手が足りない。あの事務所の経験やノウハウが必要だ」となると、たとえライバル的存在だったとしても、一緒に仕事をすることが当たり前ですからね。

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――日本では難しいのに、なぜデンマークでは簡単に境界線を越えていけるんだと思いますか?
日本とデンマークの間の「シェア」の概念の違いに理由があるとも思います。最近は日本でもシェアハウスやシェアオフィスが流行っていて、変わりつつあるのかもしれませんが、日本で「シェア」というと、「自分のものを分け与える」「誰かに分け与えてもらう」という感覚があるような気がします。
それがデンマークでは、「あなたのものでもあるし、自分のものでもある」というように、一人ひとりが所有する感覚がある。だからネガティブな感情を無駄に抱くことなく、他人に気を配りながらも好きなように利用できて、とてもバランス感覚がいいんですよ。建築を作っていても、意識のどこかに「みんなで一つの街をつくっている」という感覚をデンマーク人は共有しているような気がします。
―04―
違うから価値がある!
海外での日本人建築家の存在意義
――「街を作る」という感覚だと、新しいものは生まれにくいような気もしますけど…。
それは一理あると思います。デンマーク人建築家の能力の平均値はとても高いんですが、一方で天才が生まれにくい環境なのかもしれません。求められるのは、85点くらいの安定した価値、というイメージ。
デンマークの建築事業の多くは、公共事業なんです。福祉国家のデンマークは各種税金が高いこともあり、市民も自分の街に対する関心がすごく高い。政府や地方自治体は、その資金の使い道をクライアントである市民にわかりやすく説明する責任がある。
となると、街が「説明できるもの」で作られていく。「すごいものを作ってやる!」という独創的なものはあまり生まれにくい構造になっているんですよね。
――そんな中で加藤さんはどんな仕事を任されるんですか?
デンマーク独特の個と全体の関係を理解した上で、それを再解釈したユニークなアイディアを期待されることが多いですね。というのは、一体感や調和が大切だとはいえ、全部が全部同じような建築じゃつまらないから、時にはアクセントとなる奇抜な建築も必要なんですよ。僕の出番はそこ。
日本人建築家は、ヨーロッパでも高く評価されています。日本人は毎回新しい建築を提案するので、世界から一目置かれている。そういった意味では、デンマークのような保守的な建築界でも、日本人のような切り口は必要とされているように感じます。
たしかに日本人は海外に出る「必要」はないかもしれない。でも、日本人が外に出る「理由」はたくさんあるはず。世界における日本人の存在意義はそこにあると思うんですよね。