たった一度の出会いで、自分の世界が変わってしまうことがある。
前回のインタビューで登場した、アートスタジオ「The Inoue Brothers」の井上聡(さとる)さんは、間違いなくぼくにとってそのうちのひとりだ。
聡さんはいつもオープンで、飾り気がなく、とてもやさしい。そして、何か大きなものを見据え、心の奥に燃えたぎる炎を持っている。そんな聡さんのインタビューは予定の1時間をあっという間にまわり、気づけば2時間半が経過し、外は冷え込み始めていた。
こんなにも長引いてしまったのは、理由があった。ぼくが軽い気持ちで切り出した、ある場所の話に盛り上がり過ぎてしまったのだ。
「ぼくがデンマークで一番好きなのがクリスチャニアなんです。究極に自由でカオス。なのにどこまでもピース。こんな異端児、クリスチャニアを許容してしまうデンマーク人。全部大好きで。面白いのは、ほとんどの日本人はクリスチャニアを知らないのに、感度の高い人たちはほとんど知ってて、その瞬間に意気投合するんですよ」
聡さんの目が変わった。そして一言。
「デンマークの魂はクリスチャニアなんですよ」
本記事は、デンマークの「裏面」だ。以前にもクリスチャニアの記事を書いたが、今回はもっと繊細に、あらゆる偏見を捨てて、全身でクリスチャニアを見つめてみたい。聡さんの言葉とともに、デンマークの最奥へと歩を進める。
あなたはどこまで人類の愛を信じられるだろうか?

Photo by Robert Lawrence in Andes
井上聡|Satoru Inoue
The Inoue Brothers共同代表
1978年、コペンハーゲン生まれ。グラフィックデザイナーとしてデンマークで活躍した後、2004年に2歳下の弟・清史とアートスタジオ「The Inoue Brothers/ザ・イノウエ・ブラザーズ」を設立。
日本の繊細さと北欧のシンプルさへの愛情を融合させたデザイン。そして、いいものを作って社会を前進させる「ソーシャルデザイン」にこだわる。
今年1/25に初の書籍『僕たちはファッションの力で世界を変える ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方』を出版。
▶︎インタビュー&文:別府大河
▶︎現場写真:Natsuko&別府大河
▶︎TOP写真デザイン:山田水香
▶︎写真提供:The Inoue Brothers
ー01ー
ストリートカルチャーはクリスチャニアからはじまった

Photo by Lennart Rog in Andes
クリスチャニアについて綴る前に、兄の聡さん、弟の清史さんが立ち上げた「The Inoue Brothers(ザ・イノウエ・ブラザーズ)」を簡単にご紹介したい。
二人は、直接的なやり取りの中でいいものを作って社会を変える「ソーシャルデザイン」を、人の心を動かす高いクリエイティブで仕掛けている。彼らの代名詞であるアンデスで生産したアルパカセーター以外にも、フランス人アーティストとコラボして手がけた鹿児島の陶磁器や福島で生産過程にこだわったTシャツなど、世界中を飛び回りながら幅広い表現活動を行なっている。

Photo by Robert Lawrence
聡さんはデンマークのグラフィックデザインで、清史さんはロンドンのヘアデザイナーで若くして最前線まで駆け上がった二人。華々しい活躍の裏で、自身の幼少期をこのように語る。
「僕らはコペンハーゲンで〝移民の子〟として生まれ育ちました。デンマークは白人社会だから、僕らは〝白人じゃないデンマーク人〟。寛容な国とされるデンマークであっても人種差別を受けたし、いじめにも遭った。だから僕らには子供の頃から反発のマインドがあるんです」
聡さんの通っていた小学校では、全校生徒500人のうち白人じゃなったのは聡さんとトルコ人の女の子の2人だけだったという。そんな彼の居場所はアウトサイダーが集う場所だった。
「ぼくの友達はみんなコペンハーゲン中心街から少し北にあるノラブロ(Norrebro)地区にいました。ソマリア人、アラブ人、パキスタン人、インド人とか、とにかくノラブロは移民だらけ。白人はほぼ皆無。学校が終わるとそこへ行ってみんなと遊ぶのがとにかく楽しかった。その後、14歳の頃から毎日通うようになったのがクリスチャニアでした」
聡さんは懐かしそうな表情を浮かべながら、クスッとした笑顔でまた語り始めた。
「学年が上がれば上がるほど、社会に対する反発心が大きくなっていったんです。当時の僕にとっては逮捕される遊びや反体制的なものが全部魅力的で(笑)。ヒッピーたちが作り上げたクリスチャニアには(公道でやっていたら逮捕される)スケートボードがあって、ヒップホップとグラフィティもある。そして、今のデンマークのアートやデザイン、ミュージックシーンを突き詰めていくと、どれも明らかにクリスチャニアに影響を受けているんですよ」
ー02ー
クリスチャニアから見るデンマーク人の「カッコいい」

雑誌『relax』で聡さんが日本で初めてクリスチャニアを紹介した記事。
クリスチャニアの紹介をもう少ししないといけない。
クリスチャニアは、人口1000人強のヒッピーコミューンで、独自のルールだけでまわっている一種の治外法権地区である。だがそのルールというのもほぼないに等しく、主なルールは3つだけ。暴力禁止、車両通行禁止、ハードドラッグ禁止。詳しい説明は以前の記事を見ていただきたい。
そんな型破りなクリスチャニアだが、こんな場所がデンマークの首都コペンハーゲンにあるというのが最大の驚きだ。町中のデザインが整備されて、ゆったりした生活を送る人々の生活圏の真ん中に、無法地帯のヒッピータウンがある。コペンハーゲンでずっと育ってきた聡さんによると、全体が緑と水に囲まれていて中心部へのアクセスも絶好だという点を挙げて、「クリスチャニアは東京でいえば東京丸ノ内や銀座のような一等地だ」そうだ。だから政府もそんな土地を求めて衝突を繰り返している。ただ、争いの理由はそれだけではないようだ。
「クリスチャニアをよく思わないのは、いつも決まってコペンハーゲンに住んでいないデンマークの人たち。デンマークは国民のほとんどが農家。だからこそ一番お金を持っていて影響力がある。彼らはもちろん自分たちに関係するテーマにうるさい一方で、変わったものを怖がる北欧の人の考え方も相まって、あまり移民や社会的弱者、クリスチャニアといったあまり関係ない問題にも口出ししてくる。だからコペンハーゲンやクリスチャニアは常に政治の争点になっているんです」

Photo by Robert Lawrence in Andes
体制への反骨心を露わにしながら険しい表情で語る姿は、聡さんの人生を物語っていた。そして少し空を見上げてから、コペンハーゲンのクリエイターが政治好きな理由を語りはじめた。
「クリエイターの仕事を始めたきっかけは、ただ好きだったから、カッコいいから、といった人は多いと思います。僕もそうでしたし。でもある程度成熟すると、自分の価値観を表現したい、世界を変えたいとかそんな思いが根源的なモチベーションになっていく。
すると、どうやっても自分の生活と密接に関わる政治の話にたどり着くんですよ。それはきっとどんな職業の人でも同じ。デンマーク人にとっての「カッコよさ」とはどれだけ深く世界を見て、自分の価値観を表現できるかなんですよ。ということは、政治について自分の意見をちゃんと言えることも大切になってくる。特にコペンハーゲンのクリエイターはその傾向が強いかもしれませんが」
ー03ー
あなたは人類の愛を信じますか?

奥さんのUllaさんと仲良しな聡さん。
「とっておきの場所を見せてあげよう!」
聡さんのクリスチャニア魂に火をつけてしまったのか、インタビューから数日後、聡さんによる非公式のクリスチャニアツアーが開催された。敷地内でもっともユニークな建造物、彼が昔から大好きな一本の木、年に一度だけ開催される警察と対戦するサッカーの試合のこと、クリスチャニアでストリートカルチャーを生み出したスケートボードブランド『Alis』のレジェンド的創設者もタイミングよく紹介してくれた。
ツアーを終え、クリスチャニアから彼の経営する日本居酒屋レストラン「Jah Izakaya & Sake Bar」へ向かう途中、「あ、これこれ」とコペンハーゲン市内のあるゴミ箱を指差した。
「側面を見て。これはペットボトルやカン、ビンを置くためのものなの。実はこれ、大発明で!」
デンマークの飲み物は容器とそのリサイクル代を上乗して販売されている。そして、消費者は容器をお金に両替することができるのだ。各スーパーマーケットの入り口付近にリサイクル兼両替機が設置されていて、容器を投入すると店ですぐに使える割引券と引き換えられる。値段は容器ごとに3種類あり、Aが1クローナ(≒18円)、Bが1.5クローナ(≒27円)、Cが3クローナ(≒54円)。
この仕組みが国中に張り巡らされているため、フェスのような多くの人が集まる場には、必ず貧しい人(多くは東欧や中東、アフリカからの移民)が大きな袋を持って歩き回っている。もちろん目当ては地面にポイ捨てされた空き容器。お酒を楽しむ人も、貧しい人も、イベント運営者も、自治体も全員にとってハッピーな仕組みが、極めて合理的につくり上げられているのだ。
聡さんは少し自慢気な表情をしている。
「クリスチャニアでは空きビンをゴミ箱に捨てると仲間に怒られるんですよ。お前やさしくないなって。どういうことかというと、ビンをゴミ箱に捨てたら、回収する人はゴミ箱に手を突っ込まないといけないですよね。だから、クリスチャニアではビンをゴミ箱に捨てる代わりにそっと横に置いておく習慣があるんです」
情けないことに、よく通っていたぼくですらそんなことにさえ気づけなかった。後日確かめに行くと、たしかにビンはゴミ箱の横に置いてあった。聡さんは少し呼吸をおいて、そしてまっすぐな眼差しで見つめ、ヒゲをさすりながら本質に迫りはじめた。
「クリスチャニアにはこんなにも大きな愛がある。そしてついには、デンマーク全体も変えはじめた。その結果、コペンハーゲンに生まれたのがこのゴミ箱。コペンハーゲンは、クリスチャニアでビンを横に置くという慣習を「ゴミ箱の側面に空き容器を置ける場所を作る」という形で導入しました。クリスチャニアがデンマークを変えたんです」
愛が深くて、タブーのないクリスチャニアだからこそ生まれた「ゴミをゴミ箱に捨てない」というクリエイティブな行為。そして、敵対視する相手を一方的に否定しつづけるのではなく、素晴らしいものは素直にそう認めて取り入れてしまうデンマーク人の懐の深さ。すべてが組みあわさって表現された美しい作品。僕は〝ただの〟ゴミ箱が愛おしくなってしまった。
聡さんの眼光は鋭くなり、熱量はピークに達した。
「ゴミ箱の例は数多あるひとつに過ぎません。大きな話で言うと、デンマークのオーガニックムーブメント、リサイクルムーブメントの始まりもクリスチャニアがきっかけ。僕の一番下の子供が行ってる幼稚園はすべてがオーガニックなんですが、それを国内で最初に始めたのもクリスチャニア。もちろんクリスチャニアの中にはオーガニック八百屋やレストランもあります」

オーガニック八百屋@クリスチャニア
「リサイクルもそう。リサイクルセンターというほどの立派なものではないけど(笑)、昔から無人のリサイクルの場がある。クリスチャニアの中にはリサイクル建材を売る施設もあって」
「それと、デンマークといえばクリスチャニアバイク。前輪に大きなカゴがあって荷物を置いたり、子供や大人も座れる自転車。文字通り、クリスチャニアで生まれた自転車で、いまや公的な郵便局でも使われているほど大人気。クリスチャニアがデンマークでいかに存在感が大きくて、影響力があるかわかります」
クリスチャニアの路上で価値観を思いっきり表現する人、理想を諦めない人、愛を信じつづける人、人類を本気で前進させようとする人が本当にデンマークを変えてしまっている。これは空想でも夢物語でもなく、現実に起きていることだ。そして、クリスチャニアは過去の話でもなく、現在も生きつづけてる空間である。誰でも行ってその目で感じることができる。
そこでわかったのだ。聡さんがなぜこんなにも面白く、惹き込まれるのか。それは、彼もまたクリスチャニアに身を置きながら何かを変えようと表現しつづけてるからだ。また、何の魅力もなかったデンマーク南部のロラン島をエネルギー先進地域へと大転換し、自然エネルギーの島内自給率を700%へと導いたリーダー、レオ・クリステンセンさんもまた、長髪の姿でクリスチャニアに住んでいたという。きっと彼もクリスチャニアスピリットを内に秘めているのだろう。
「でもやっぱり資金源はマリファナが大きいし、ヒッピーは見た目の印象もよくない。だから常に偏見を持たれて、否定されてきました。でも、クリスチャニアはこんなにもデンマークを変えてしまった。生まれも育ちも100%デンマークの日本人として、心から誇りを持って、迷わず言えるのは、デンマークの魂はクリスチャニアだということですね」
聡さんはすっかりやさしい表情に戻っていた。
世界はいつだって路上で育まれた愛と独創性から変わっていく。スティーブジョブズだって、チェゲバラ、ボブマーリー、ザ・イノウエ・ブラザーズだって、そしてクリスチャニアだって。そう、ぼくらだって。
▶︎井上聡さんオリジナルインタビュー記事へ
「世界を飛び回るコペンハーゲン育ちの日本人クリエイターが明かす、デンマークデザインの神髄」
★★★
井上兄弟初の著書『僕たちはファッションの力で世界を変える ザ・イノウエ・ブラザーズという生き方』2018/1/25発売!
▽内容紹介
国籍や人種、宗教や信条を超えて、確固たるスタイルで自らを表現し、同時に自分たちのビジネスに関わる人すべてを幸せにしたい、という井上聡と清史。「どこかで、誰かが不幸になるビジネスなんていらない」「僕たちはファッションの力で世界を変える」。青臭い理想論とも捉えられがちな彼らの言葉ですが、ふたりは実際にこうした生き方を貫き、そのためには勇気と希望が大切だと語ります。毎日の生活に追われ、夢見ることを忘れてしまったわたしたちに必要なのは、こんな“純粋で、真っ直ぐな”気持ちなのではないでしょうか?本書には、井上兄弟から現代を生きる人たちへ向けた、“生き方”“働き方”“人生の捉え方”に関するポジティヴなメッセージが詰まっています。2018年1月25日発売。
▽インタビュアーよりコメント
The Inoue Brothersはカッコいい。この本だってカッコいいに決まってる。EPOCH MAKERSもそうあり続けたいし、そういう人を応援したい。Amazonへ。