自然エネルギー100%自給率600%、ロラン島の第一線に日本人女性が!「デンマークから東松島へ、そして日本の未来へ」


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自然エネルギー100%、エネルギー自給率600%の地、ロラン島。3.11以降、数々のテレビや雑誌で取り上げられるなど、日本で大注目を浴びる奇跡の島である。しかし、そのド真ん中で活躍する日本人女性がいることはあまり知られていない。彼女はデンマークで何を見て、どんな未来を思い描くのか? その優しい眼差しの奥に迫る。 

 

Nielsenニールセン北村朋子|Tomoko Kitamura Nielsen

ジャーナリスト、コンサルタント、コーディネーター

2001年よりロラン島に移住。デンマーク・インターナショナル・プレスセンター・メディア代表メンバー。2012年デンマーク・ジャーナリスト協会Kreds2賞受賞。

宮城県東松島市のための復興協力、デンマーク国内、日本企業へのコンサルティング、日本からの視察コーディネートや受け入れ、通訳も行う。持続可能な社会づくりに関わる取材、執筆、講演活動や、交通インフラとまちづくりについての紹介とコーディネート、コンサルティングにも取り組む。

著書に『ロラン島のエコ・チャレンジ〜デンマーク発、自然エネルギー100%の島』。

▶︎ インタビュー&文&現場写真:別府大河
▶︎ 写真提供:aTree

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あなたは知っていますか?
自然エネルギー100%、ロラン島

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©aTree

――以前はまったく無名だったロラン島。近年、様々なメディアに取材されて知名度が上がっていますが、その第一人者がニールセンさんですよね。いったいこの島の何が魅力なんでしょうか?

人口約6万3千人、沖縄本島とほぼ同じ面積を持つロラン島は、自然エネルギー100%、自給率600%の島。余った電力は国内外に輸出しています。

ロラン島は風力発電が盛んで、隣のファルスタ島とあわせて500基以上の風車が立っています。しかもその半数は島民の所有物。いわゆる「マイ風車」。風力発電以外にも、バイオマス発電やゴミ発電、熱電併給など様々な先進的な取り組みが行われています。

今でこそグリーンな島として知られていますが、1973年のオイルショック以前は、日本よりもエネルギー自給率が低かったデンマーク。日本と同じように原発建設の機運が高まりましたが、国民の草の根運動によって再生可能エネルギーへと舵を切りました。

そして今、北海油田に依存しているとはいえ、エネルギー自給率がほぼ100%、そのうち40%以上が再生可能エネルギー。政府は、「2050年には化石燃料からの完全脱却」という目標を掲げています。

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©aTree

その大きな目標の実現と国内外への普及のために、地方自治体という枠や制約に縛られず、むしろそうしたハンデを原動力に、再生可能エネルギーや農業、教育、自治体間や隣国とのコラボレーションで新たな可能性を示しているのがロラン島なんです。

そんな歴史もあり、ロラン島が特に注目を浴びるようになったのは、2011年の福島第一原発事故からでした。それ以降は、エネルギー以外にも教育や社会福祉、農業関連の視察が増え、今年3月末には被災地の宮城県東松島市から中学生がロラン島を訪れ、一般家庭にホームステイするなど交流は年々深まっています。

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「人生、どうにかなる。」
ようやくたどり着いたデンマーク

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――そんな取り組みの最前線にいながら、日本とも関わって仕事をする人はなかなかいませんよね。どのような経緯だったんですか?

ごく普通に会社勤めをしていたんですが、入社7年目にアメリカに1年間の語学留学へ。帰国後、道路工事の警備員、葬儀屋さん、通販のコールセンター、国際コーディネーターを経験した後、スポーツの映像翻訳家に。その仕事でヨーロッパのサッカー大会「EURO 2000」に行った帰りの飛行機でたまたま隣になったのが、ロラン島出身の今の夫だったんです。

2001年10月にロラン島に移住し、苦労してデンマーク語を覚えた後、紹介で地元のテレビ局に就職。すべて順調だったはずが、会社の内部事情でいきなり人生初の失業(笑)。それから手探りで起業して、今に至ります。

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外から見て、内から変えよ!

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――様々な経験をした後に、ロラン島に行き着いたんですね。デンマークで仕事をして、何を感じましたか?

突然リストラされたけど、テレビ局で働せてもらった経験はとても貴重でしたね。研修生として政治からスポーツまで幅広く取材に行って、デンマークやロラン島がいかにユニークで、面白いことをやっているかを初めて知った。異邦人だからこそ、外から見える景色があったのかもしれません。

――外からだと客観的に見られますもんね。

それが最大の武器になったのがロラン島でした。中にいる人って、意外と自分たちのすごさや魅力に自覚がない。それどころか、ロラン島の人たちは「こんな田舎でやっていることなんて誰も興味ないよ…」と卑下するくらいで。それでもしつこく聞き回って出会ったのが、ロラン島のリーダー的存在だった、レオ・クリステンセンさんでした(レオさんの記事はこちら)。

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ニールセンさん(左)、レオさん(右)

今となっては大切な師匠でもあり、一緒に仕事をするレオさんは、私に何度も、丁寧に島のことを話してくれて。あまりに感銘を受けた私は、彼に本の出版を勧めたんです。そしたら一言、「それは僕の仕事じゃない。トモコが書いてよ」。

こうした経緯と、日本での東日本大震災も重なって、復興とこれからの地域づくりの考え方の役に立てられればと、『ロラン島のエコ・チャレンジ』を出版しました。それ以降、日本からテレビ局のロケのコーディネートなどのお仕事をいただけるようになって、ロラン島が少しずつ知られるようになったんですよね。

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試験に答えは本当に必要ですか?

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――ロラン島の人々のように、デンマーク人は当たり前に未来や他者について考えられる人が多いですよね。なぜでしょうか?

私は小学6年生の息子がいてよく感じるんですが、やっぱり教育ですね。

つい先日、「なんで人は生きるんだろう?」「なんで自殺はいけないなの?」って真剣に聞かれて(笑)。まだ小学生の無邪気な子供なのに…、なんて思いましたけど、ここにデンマークの教育がよく表れているように思います。

――どういうことですか?

デンマークの大人は子供のどんな意見にも耳を傾けるんです。どんな考えでも即座に否定はせず、質問にちゃんと答える。すると、子供も安心して学校でどんどん手を挙げて意見を言う。

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「日本のカンニング問題は、そもそもカンニングできるような問題を作る方が悪い」。以前、デンマーク人にこんなことを言われたことがあって。

デンマークでは、答えだけを重視するのではなく、その解答に至ったプロセスや、意見の相違をどうお互い尊重するかを大切にする。暗記することより、日々の暮らしに置き換えられることに比重が置かれているんですよ。

――話し合いは、どんなテーマになるんですか?

ありとあらゆることを、タブーなく話し合える環境がありますが、未来や幸せなどがよくテーマになりますね。

「どんな未来が理想なのか」「どういう状態が幸せ、心地よい、楽しい、嬉しいと感じるか」ということを、小さい頃から家では家族と、学校では先生と生徒と、子供のレベルにあわせてよく話し合う。だから、大人になっても自然にそういった話題が持ち上がるんですよね。

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未来、幸せと同じように政治も

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――子供の頃からそういう価値観が確立されているんですね。

日本ではあまり話題にのぼらない政治についても、デンマークではよく議論します。政党も、よく討論をして、意見の相違点や類似点について議論を重ねる。

その上で、デンマークの国としてのあり方、存在意義を決めるような事柄、たとえば社会福祉だったり、エネルギー政策だったりという分野では、国民がある程度納得できる内容の合意を、政党間で取り付けます。

ですから、政権が変わっても、最重要政策が大きくブレるということはありませんね。これは、その分野の教育や研究開発、そして投資が長期的視野を持って行われるためには不可欠なこと。デンマークの世界における存在価値を高める要因のひとつがここにあると思います。

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そこに私はいなくてもいい。
もし素晴らしい未来が訪れるなら

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――では、ニールセンさんご自身は、どのような未来を思い描いていますか?

まだレオさんや志を同じくする人たちと取り組み始めたばかりですが、アカデミックなことを学んでそれを社会で実践できる、持続可能なプラットフォームを作りたいと思っています。様々な分野で技術や知識、経験が豊富な人材が一堂に会して、講義をしてもらえる場。そして同時に、それ自体がビジネスとして成り立つシステム。

私は縁があってロラン島に来たけど、レオさんや私がいなくなった後も、次の世代に引き継いでもらえるような仕組みづくりをしたいというのが切なる願いです。

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――なぜ自分のことは差し置いてまで、未来や社会について考えられるんですか?

「他人を変えることはできない」とわかっているからです。デンマークの人たちから学んだ大切なこと。他人のことを100%理解するのは不可能だとわかった上で、お互いの存在を認め合い、寄り添い合う。移民が多いこの国では、生まれた時から価値観の異なる人たちと一緒に暮らしているので、その感覚が身体に染み付いているんですよね。

日本にいた頃の私は、自分をわかってもらいたいという気持ちが強すぎたのかもしれません。今思うと、ちょっとエゴイスティックで、傲慢だなって。もちろん今でもそうは思いますが、他人をコントロールしようという気持ちはかなり薄れましたね。

それより自分が変わっていくしかない。自分を持たないということではなく、ものの見方を変えることで、違いにより寛容になれるんだと思います。

昔、葬儀屋さんで働いたからよくわかるんです、誰だってこの世を一人で去って、自然に戻っていくと。生前に築きあげた財産も名誉も、買い集めた多くのモノも、死後の世界に持って行くことはできませんしね。どんな人も、最後は同じ場所に帰るのだと知りました。

でも、次の世代にきっかけの種を残すことはできるはず。いつか誰かが種に気づいて、水をやり、やがて芽を出し、花を咲かせてくれたら。そう強く願えば、どこにいようが、誰でも何かできることはあるはずだと思います。私はたまたまロラン島。ただそれだけなんです。