「乙武さんはなぜそんなやさしいんですか?」幸福度が高く多様性に寛容な北欧社会の衝撃と希望


どうしてもこの記事を公開したかった。何があろうと、ぼくはずっと乙武さんが大好きだし、どんなに時間がかかってもこの記事をできるだけ多くの人に届けたい気持ちは変わらなかった。北欧を視察した乙武さんならではの鋭い洞察、そして多様性を受け入れることの本質を根本から探求したロングインタビュー。「教育には無限の可能性がある」と語る乙武さんの目はどこまでもやさしく、熱く輝いていた。

 

乙武洋匡|Hirotada Ototake

1976年東京生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、教育に強い関心を抱き、新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。2015年4月より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶ。
著書に『だいじょうぶ3組』『だから、僕は学校へ行く!』『オトことば。』など多数。地域全体で子育てすることをモットーとする「まちの保育園」経営に携わる他、2014年には地域密着を目指すゴミ拾いNPO「グリーンバード新宿」を立ち上げる。電動車椅子で、これまで50ヵ国近くを訪問。

▶︎インタビュー&文&一部写真:別府大河
▶︎写真提供:乙武洋匡さん

ー01ー
高福祉社会とクリスチャニア。
民主主義社会の究極形とは?

クリスチャニアにて。彼らは、子育てをしながら家族で旅をしているうちに、ここに住み着くようになったという。

——本当は裏テーマとして掲げていたんですが……最初に告白します!乙武さんはこれまでの人生で出会った誰よりも、初対面で一番やさしいと感じたんです。

なんと、それはいきなりですがうれしい告白です!

——だから「乙武さんのやさしさの源を探る」のが今回のインタビューの裏テーマです(笑)。

もう言っちゃったから裏じゃないけどね(笑)。

——さて本題へ。乙武さんはデンマークにも行かれたことがあるんですよね?

2014年の夏に訪問しました。首都コペンハーゲンに数日間でしたが、とても印象的だったのを覚えています。その直前には、当時のデンマーク大使(前任のA・カーステン・ダムスゴー氏)とも対談させていただくなど、デンマークとは素晴らしいご縁をいただいています。

——デンマークに対してどんな印象がありますか?

訪れるまでは「高負担高福祉」というイメージでしたが、「クリスチャニア」が強烈すぎて、いまではデンマークといえば、真っ先にあの町が思い出されます。もう、本当に衝撃的で!

クリスチャニアでは「落書きを禁止する」のが禁止されている。

——クリスチャニアはコペンハーゲンに位置する、独自につくった最低限のルールで運営されてる自治体ですね。たしかに、あの破壊力は抜群ですね(笑)。ぼく、大好きなんですよ(記事はこちら)。

町のルールは自分たちで決めていて、その中には「ハードドラッグ禁止」というものがある。つまり「ソフトドラッグ(大麻)まではOK」という(笑)。町中では、あちこちでマリファナを販売していたり、全裸のカップルが歩いていたりと、本当に独特なコミュニティですよね。

——クリスチャニアに行かれたことでデンマークのイメージは変わりましたか?

もちろん変わった部分はあります。だけど、「高負担高福祉のデンマーク」と「独自の世界観を持つクリスチャニア」は一見すると対極に見えるけれど、むしろその二つは同一線上にあると考えるほうが自然なんじゃないかって。

——どういうことですか?

デンマークを含む北欧諸国は、「税金が高い代わりに福祉が手厚い。だからこそ国民の幸福度が高い」と言えると思うんです。それは国連が発表している「幸福度ランキング」からも窺い知ることができますよね。さらに、これらの国々に共通する特徴として、「投票率が高い」ということが挙げられます。実際にデンマークでは、国政選挙だと投票率は90%前後です。

——過半数を超える程度の日本と比べると、圧倒的な差ですよね。

以前のデンマーク大使との対談で、大使はこんなことを話してくださったんです。

「デンマークでは高い税金を払わなければならないのに、なぜ幸福度が高いのか。それは、高い税金を払っただけの恩恵を受けているという実感があるからです。税金を多く納めても、社会保障の充実など、それに見合う、もしくは払った分を上回る恩恵に授かっていると実感できるから、幸福だと感じられるのです。だから、国民はその税金の使い道をしっかりチェックするために必ず選挙に行く。それが、デンマークで投票率が高い理由です」と。

——「税金」に対する考え方が、日本とはずいぶん違うんですね。

そうですね。日本だと「税金が高い」というのはマイナスイメージですし、増税はまさに国民を敵に回すほどの政治的判断になってしまうけれど、デンマークではずいぶん前向きなものとして捉えているのだなと実感しました。また、国民と政治の関係性もいいですよね。国民は政治に期待し、信頼もしているし、政治もまたそれに応えている。日本で投票率が低い理由の一つに「どうせ投票しても変わらない」というものが挙げられますが、デンマークでは自分たちの投票で国の在り方を変えられるという感覚があるのだと思います。

——デンマークは税金と投票率が高く、これが幸福度と結びついている。とても興味深いお話ですが、これがクリスチャニアとどういう関係があるんですか?

クリスチャニアは「究極の自治」だと思うんです。税金にあたる供出金があり、その資金で町を運営している。また人々が暮らす上での最小限のルールもあるけれど、それも会議を行って自分たちで決めている。つまり、「直接自治」によって「直接民主主義」を実現しているんですよね。

そう考えると、高い税金を払いながらも自分たちの投票行動によってその使い道を決めて「高負担高福祉」を実現しているデンマークと、自分たちでお金を出し合い、自分たちでルールも決めていく「究極の自治」クリスチャニアは、決して相反する関係性ではなく、やっぱり同一線上にあるんじゃないのかな、と。 政治不信が蔓延し、すっかり当事者意識を失ってしまっている多くの日本人にとっては、とても刺激的な町であり、仕組みだと思います。

ー02ー
日本でデンマーク社会は実現できるのか?

コペンハーゲンで最も賑やかな観光名所「ニューハウン」。

——その切り口は面白いですね。ただ「じゃあクリスチャニアみたいな社会を日本でやればいいじゃん」っていう話でもないんですよね。

そうですね。ワクワクする社会実験ではあるけれど、「政治とはお上がやること」と国民の当事者意識が薄らいでしまっている日本で、いきなり「クリスチャニアのような直接自治に移行してもOK」と言ったところで、それがうまく機能するかは疑問ですね。

——そうですよね。逆に、デンマークのことを話すとだいたい「それはそんな小さな国だからできることでしょう?」とよく言われるんですよね。これはどう思いますか?

そうした意見には一理あると思います。だとしたら、ひとつ疑問が湧いてくるのは、「日本は人口減少待ったなし」と騒いでいることとは矛盾するな、と。デンマークを始めとする北欧社会の成功を「人口が少ないからできること」と切り捨てるなら、もっと人口減少を歓迎する声が聞こえてきてもよさそうなものですけど。

——鋭い…。ぼくがいつもそう言われた時には、「デンマークの人口は兵庫県と同じ。それならたとえば兵庫県でデンマークのエッセンスを生かせるかもしれないよね」と。

コミュニティの規模だけでいえば、そうかもしれません。ただ、それが「国家」であるのか「地方自治体」であるのかという違いは、やっぱり考慮しなければならないと思うんです。というのも、たとえ人口が同規模だとしても、デンマークの優秀な人材は「デンマーク国外で」政治や行政に関わる可能性が低いのに対して、兵庫県の優秀な人材は、大阪や東京に流出してしまう可能性も大いに考えられますよね。

——なるほど。人口は同じでも、その運営にあたる人材の質に違いが出てくるかもしれないということですね。

そうですね。僕は、地方分権という概念自体には大賛成です。だけど、これが机上の空論にならないためには、各自治体がどう優秀な人材の流出を食い止め、さらに都心から呼び込み、そこで力を尽くしてもらえるようにするのかという点を軽視すべきではないように思うんです。「デンマークの事例はこうやって日本の地方で生かせるよね」と語れるようになるには、まずはこうした課題を解消していく必要があるのかなと思っています。

ー03ー
誰もが平等にチャンスを与えられる社会へ。

ノルウェーの首都オスロにて、ソマリアから移住して20年になるという男性とすっかり仲良しに。

——なるほど、国と地方を同列で考える危うさを考えたことはありませんでした。そう考えると、より抽象度の高い本質的なことほど日本に生かすことができそうですね。クリスチャニア以外に、デンマークではどんなことを感じましたか?

すごく居心地が良かったんです。僕はこういう身体だし、背の高い電動車椅子に乗っているから、どうしても目立つんですよね。特別視されてしまう。たとえばアメリカや西ヨーロッパなどのキリスト教圏では、道端で友達を待っていたりするだけで、車椅子の座席に1ドル置いていかれたりすることはよくあるし、地雷の影響で手足がない人に慣れているはずの東南アジアでは、今度はこの電動車椅子を珍しがられて好奇の視線を向けられる。特に不快な思いをするわけではないけれど、まあ、「浮いた存在」であるという事実を突きつけられるわけです。

ところが、デンマークを含め、北欧諸国ではそうした特別視されている感覚を抱く場面がなかったんですよね。僕の姿に特に興味を示されることもなく、あくまで「いち日本人観光客」というような扱いなんです。かといって不親切というわけでもなく、サポートをお願いすれば、ごく自然に手伝ってくれる。これが本当の意味での共生社会なんだなと実感しました。

——乙武さんだからこそ感じられる世界のあり方ですね。ただ、多様性を受け入れるって難しいですよね。乙武さんは著書『自分を愛する力』の中で、子育てについて「自分の価値観における幸せが、きっと子供にとっての幸せだろうと決めつけてしまうケースが、あまりにも多い気がするのだ」と書いてますよね。ぼくもこれってまさに、多様性を受け入れられてない典型例だと思ってて。

そうですね。その本の中でも書かせてもらいましたが、多様性を受け入れる態度や寛容性って、育った環境や教育の力が大きいと思うんです。

たとえば、「前へならえ」。きっとこんなことしてるのって東アジアの国だけだと思うんです。もちろん、それによって日本が得ているものもあれば、失っているものもあると思いますよ。これだけ日本人が秩序正しく、物事を正確に進めることができるのは、この「前へならえ」の影響も少なくないと思いますし。

ただ、やはりこの「前へならえ」によって多様性・寛容性が失われていることも事実だと思います。文字通り、「前へならえ」ですから、まわりの人と同じ行動をすることが求められ、そこからはみ出すと怒られるという感覚が染み付くわけです。そうした環境のなかで、僕たちは知らず知らずのうちに、「価値観はみんな同じじゃなければいけない」「私たち日本人は普通こういうふうに行動するものだ」と刷り込まれてしまっている。そこに多様性が育つ土壌はない。

——ぼくもデンマークの小学生に日本の小学校について写真を見せながら話したことがあるんですが、「前へならえ」やランドセルを見て「なんでみんな同じなの?」ってよく言われましたね。

デンマーク人はとにかく自国の国旗好き

それより問題なのは、それぞれの学校が何の考えもなしに「前へならえ」をさせていること。さっきお話ししたように、「前へならえ」にはメリット・デメリット共にあると思うんです。そうであれば、各学校がそれらを考慮して、「うちはやります」「うちではやりません」と実施状況がバラバラであってしかるべき。ところが、日本の公立学校で「前へならえ」をやっていない学校なんて聞いたことがない。まさに「学校では『前へならえ』をやらせるものだ」という慣習に流されているだけですよね。

——学校自体が「列からはみ出ること」に臆病になっているのかもしれませんね。

そういう言い方もできますね。だけど、それって「誰しもが自分に嘘をついて生きなきゃいけない」ということだと思うんです。

——それは、どういうことですか?

〝違い〟を揶揄されたり、咎められたりする社会では、誰もが「この違いを見せるわけにはいかない」と慎重になるわけです。自分が抱える他者との〝違い〟を必死に隠そうとする。だけど、隠してるということは、鎧や仮面をつけて生きるということだから、それは苦しいですよね。窮屈な人生になってしまう。

——その意味で、乙武さんは、まさに〝大きな違い〟を抱えて生まれてきました。

僕の場合は隠しようもない、あまりにも大きすぎる違いだったから、むしろ開き直ることができたのかもしれません。違いを受け入れるしかなかったから。だけど、たとえばLGBTの方々のように、隠そうと思えばなんとか隠せてしまうほどの違いを抱えている場合は苦しいと思うんです。だって、「だったら我慢してしまおう」と社会を変えることより、自分を犠牲にすることにシフトしがちだと思うから。

僕は、そんな社会を何とか変えたい。周囲との違いによって生きづらさを抱える人々にとって、少しでも生きやすい社会を実現したいんですよね。

コペンハーゲンの中心にある歩行者通りにて。

ー04ー
子育てと教育の無限の可能性に賭けて。

コペンハーゲンからオスロへと向かう一泊二日の船旅。

——ものすごく心を打たれました。多様性の受容力を育む教育の観点だと、子供の頃から白黒つけることを刷り込まれてることも大きく影響してると思います。たとえばセンター試験には、どの問題にも普遍的かつ客観的な答えが必ずひとつある。でも現実社会はそんな単純じゃないし、そもそも白黒つけることが必ずしも正しいとは限らない。象徴的なのが原発問題。よく賛成か反対かという二元論になるけど、あれ本当に無意味だなって思っちゃうんですよね。

その通りですよね。原発についても、「あなたは原発に賛成ですか?反対ですか?」という問いの立て方自体がそもそも的外れで、「日本が消費するエネルギーの総量がこれくらいあります。その総量をどんな割合で埋めていきますか?」というのが適切な問いの立て方だと思うんです。その上で、「じゃあ、原発は◯%ですね」と考えていくのが意味のある議論。

もちろん、その上でも「0%」という考えはあると思います。ただし、もし原発を0%にするなら、そのぶんを他のエネルギーで賄わなければならない。その場合、もし石油で埋め合わせるなら、「莫大な費用がかかりますが、他の予算を削ってまで石油を買うんですね」とか、「火力発電を増やすなら、二酸化炭素が大量に出て、国際的に批判を浴びることになります」とか、きちんとそれに伴う痛みにも目を向ける必要がある。逆側から考えれば、「石油なんて買いたくないし、二酸化炭素も出したくないということなら、このまま事故のリスクを織り込み済みで原発を続けるんですね?」となるわけだし。

——そうですよね。「0か1」「白か黒」の思考は情報量が少ないから思考がラクな上に、感情論に陥りやすい。二元論から多様性が生まることはあり得ませんよね。

二元論で考えないというのは、「様々な意見があるなかでの落としどころを見つけていく」ということだと思うのですが、残念ながら、僕たち日本人はそういうトレーニングを学校で受けてきていない。

もっと言うと、選挙権が18歳に引き下げられて、今になって「主権者教育をやらないと」といって慌てて高校で模擬投票などをやっていますが、模擬投票はあくまでアウトプットですから、判断基準を身につけていない人にとっては、あまり効果がないと思うんですよね。

本当の意味での主権者教育とは、「あなたはAと考えていて、僕はBと考えている。このままでは意見がまとまらないから、Cという着地点を見出そう」という議論ができる力を身につけることだと思うんです。そういう機会を、小学生の頃からたくさん経験しておく必要があるなと思っていて。

——お互いがポジティブな妥協点を見つけようとする行為こそ、本当のやさしさですよね。そういえば、乙武さんのやさしさって、誰よりも相手を受け入れているからだと思いました。話し相手の「ぼく」が乙武さんとは違うことを心から理解した上で、ぼくの話に耳を傾けながらすべてを受け止めて、さらに歩み寄ろうとしてくれる姿勢がすごく伝わってくるんです。特にやさしい目から感じるんですよね。

あ、裏テーマの回答だね(笑)。そう感じてもらえているのは、とてもうれしいです。僕はこういう身体だから、子どもの頃から〝違い〟に対してものすごく敏感であり、同時におおらかだったんですよね。だって、自分がこれだけ周囲と違うんだから、目の前の相手にも違いがあったって当然じゃないか、と。

——たしかに、そうかもしれません(笑)。

子どもが生まれるとき、多くの親が願うのは、「せめて五体満足で生まれきてくれたら」。僕はその最低限の願いさえ満たして生まれてくることができなかった。にもかかわらず、こうやって充実した毎日を送れていることは、本当に両親や教育のおかげだと感謝しているんです。

愛情いっぱいに育ててくれた両親。違いを尊重しながら教育を受けさせてくれた学校や先生方。そうした環境に恵まれたから、こうして充実した人生を歩むことができている。裏を返すと、僕みたいに大きな違いのある人間だとしても、子育てや教育によって、幸福な人生を歩めるようになるということ。どんな境遇に生まれても平等に選択肢が与えられる社会を実現する上で、子育てや教育には無限の可能性が詰まっている。僕が教育にこだわる理由も、そこにあるんですよね。

——乙武さんの活動の原点に触れることができた思いです。

そんな社会を実現していく上で、デンマークなどの北欧社会には大切なヒントがいっぱい詰まっているように感じます。そうした意味でも、ぜひまた訪れてみたいと思っています。

——今日はお忙しいところ、ありがとうございました。

こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。